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週刊柏崎July 03 第298回 知事とマンゴー今週に入り、梅雨らしいといえば梅雨らしい天気の日が続いています。東北で梅雨入りになりましたが、沖縄では既に梅雨明けになっています。
政府から発表される様々な景気指数は、やれ底を打っただの、穏やかに回復しているとか、日本の経済はもう大丈夫的な話なのですが、私の周りはちっとも良くなっているようには思えません。ここに来て、原油価格も半年前に比べると倍以上になっているし、他の商品価格も同様に値を上げているのです。まあ投機的なマネーが原因と言えば原因なのですが、これだけ未曾有の大不況が続いている中、物の値段が上がるというのは辛いです。皆様お変わりございませんか?
相変わらず日本の政治は混迷を極めています。それにしても驚いたのは先週の日曜日に行われた横須賀市長選です。自、公の与党だけでなく、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの民主までが相乗りで支援し、お膝元ということであの小泉元総理が4回も応援にかけつけた現職候補が無所属の若い新人に負けてしまったのです。これはもはや国民が政党政治というものに対し、全く期待していないことの表れであるのです。自公であろうと民主や他の野党であろうと、政党という集団が国政を司るなら、それに対し国民が限界を感じている、要するにどんなマニフェストをかかげようと実現しないと思っているのです。 東国原氏の自民党による取り込みはまさしく、そういった風を自民党の一部の人達が感じ取っているからに他ならないのです。
それにしても、その東国原氏に関してはなんか底が見えてしまったという感がします。「国を変えようという大きな目標に対し、知事の権限は微々たるものだった。自分はその限界を越えよういう事だ」と本当に聞こえが良いことを言っていますが、果たして彼が言うように知事というのは名前だけで何の力も無い役職であるのでしょうか?
前長野県知事、田中康夫氏のコラムでは、あの石原慎太郎氏でさえ、知事職を「かくも面白い仕事は無い」と言っているそうであるし、田中氏自らも知事の権限は、県内の人事、予算、条例を行使出来る極めて強力なものと述べています。まあ確かに東京で言えばあの大赤字の銀行をつくったりしても責任を取らなくてもいいのですから・・・。 どこかで聞いた話なんですが、元々、東国原氏は国会議員になるのが目標であって、宮崎県知事には彼自身話題になればという感じで立候補したというのです。それが今回の横須賀市長選ではないですが、前知事の汚職問題でもう政党政治は信用出来んと、無所属の東国原氏が当選してしまったのです。この当選に一番びっくりしたのが多分本人であったろうというのです。
でも元々地方分権といったって彼は国会議員になりたいのです。彼は前回の参議院選にも結構色気があったように見られました。彼が掲げた知事としてのマニフェストの達成率は80%ということです。80%もの達成率を感じながらも知事として県政に対して限界を感じたということは少し矛盾するのではないでしょうか。
まあ確かに任期中、何をしているのかが良く分からない国会議員と違って、知事というのは確実に成績を公に発表されてしまうのです。私たち国民は彼のマンゴーや地鶏などの宮崎物産の販売促進や、彼の人気による地方観光などのパフォーマンスばかりに目をとらわれ、知事としての本当の仕事、即ち、財政再建や、入札改革、公務員改革、そして福祉、医療、教育の充実といったことに対する結果を知らないのです。そしてそれが余り芳しい結果が出ないとするならば、この政党政治に対する不信感がマックス迄来ている今こそ、彼が一番高く売れる時と考えても少しも不思議ではありません。
しかしながら、彼が自民に入るという選択は彼の賞味期限を考えると絶対してはならないものであると思います。なぜなら、今の無党派、要するに政党を信じていない国民は5割近く存在するのです。その5割の過半数の支持を集めることが出来れば、時間はかかるかも知れませんが、もう沈没間際の自民でトップをとるよりもっと大きな歴史に名を残すようなことが出来るのではないかと思います。 今の官僚政治や役人行政の、その本丸ともいえる自民党の中で、新しい自民党を目指すなんて、遊びまくって何の勉強もしないうちの息子が東大の医学部を目指すようなものですよ。
今日、朝、テレビで麻生さんや古賀さんとの閣僚にするという約束を反故にされて、麻生さんに完全に無視された結果になった東国原氏は、さかんに私が自民党に入れば自民は勝てる的な発言をしておられるように見えましたが、これははっきり言って興ざめです。それにしても東国原氏、もし自民から衆院選に立候補したらあの宮崎産の商品にプリントしてあるあれだけ沢山の彼の似顔絵、多分問題になるんじゃないかなあ。
June 25 第297回 マンガ記念館について暑い日が続いています。毎日普通に30℃を超えているので、梅雨という認識がありません。子供の頃、30℃を超える気温て、もっとすごく暑かったような気がするのですが、今は体が暑さに慣れてしまったということと、家でも会社でも冷房漬けになってしまって、長時間暑い中に身を置かないのが、余り暑さを感じない原因かもしれません。
それにしても皆さん、定額給付金て何にお使いになりましたか?
私は今週、交通違反で15000円罰金をとられ、しっかり利子をつけて国庫に返納してまいりました。
何もこんな未曾有の大不況で、ボーナスも出ないとか住宅ローンも払えない方が増えている中、勘弁して・・・という他ございません。(嫁に頼まれてスーパーで買い物をしてるたった5分の間の駐禁です・・・)
皆さん元気でお過ごしでしょうか?
知り合いによると、ボーナス前は交通の取締りが厳しくなるとのことなので、皆さんも充分注意して下さい。
さて、今週ビックリのニュースは何と言っても、自民党の古賀選対委員長による東国原宮崎県知事への衆院出馬要請であったと思います。麻生首相では、自民党がこの衆院選挙で下野する可能性が高いというなか、なりふりかまわぬ出馬要請であった訳です。東国原知事だって古賀さんだって、はっきり言って私と違ってとても忙しい方々だと思うのですから、お二人が20分程度会話して、「総理候補としてなら出る」なんていう発言はあくまでパフォーマンスとみるべきで、実際の交渉はかなりウラで進んでいるのだろうと考えています。実際その後料亭で数時間、古賀・東国原会談は行われているので、本当に大事な話はそこで行っていたんだろうと思います。
それにしても自民党というのは、どうしてこんな政党になってしまったんだろうと考えさせられてしまう出来事でありました。でももし東国原知事が自民党の顔になって、衆院選挙に突入するような事があったら、民主が橋本知事を引っ張り出して、もうしっちゃかめっちゃかになる気がします。
私はその時点で、本気で将来の海外移住を考えると思います。
でも東国原さん、国政に出るより今の宮崎を何とかしなくちゃ。110万人位の人口で、毎年400人以上の自殺者とか、地方交付税をもらわなくては真っ赤かな財政とか、就任してからマンゴーや地鶏の販売以外、何をしたのかあまり印象がないんですが、1期4年はしっかり勤めて欲しいです。
私が知るかぎり、タレント知事としては、田中康夫元長野県知事が6年位務めています。彼は任期中に長野県の財政赤字を失くし、新しい雇用事業を作りました。しかし惜しいことに、彼には東国原知事の人気はありませんでした。しかし、こういう地方での実績を持って、国政に行くべきであると思います。
まあ古賀さんがこれでビートたけしに頼みに行ったら、本当にバラエティですね。
嫁に逃げられたお笑いタレントが、苦労を重ねて50過ぎに知事になるというジャパニーズドリームを果たした東国原さん、焦ってはいけません。実績を残し力をつければ、こういう時代、総理の座も夢ではないのかもしれませんから。
前フリが長くなってしまいました。国民だけではなく、野党・政党にいたるまで、否定的な方が多いマンガ記念館。
実は私はこの事業に対し、賛成の意見を持っております。そりゃ箱物込みで117億円かけることは問題外ですが、マンガというソフトは、いま外国に向けて胸を張れるコンテンツである訳です。
ドラえもんであるとかドラゴンボールは、海外の子供だけではなく、大人達も夢中になっていたのです。タイでは勉強が苦手で弱虫な子を「ノビタ」といい、頭が良くて利発な子を「一休さん」と言っていた位ですから。
私はマンガというものを、ただのコンテンツということから、今の若者に対する「新しいビジネス」、即ち新雇用事業に育てるべきであると考えています。
箱物は、この不況時に空いているビルは山ほどあるのですから、そういう中古ビルを買ったり借りたりすれば、多分数億もあればこのマンガ記念館は出来るのです。
私は小さいながらも企業経営者ですから、この位の投資で国をあげてマンガ事業を推進すれば、本当に将来性のあるビジネスになると思っています。
June 19 第296回 梅の木と農薬全国的に梅雨入りですが、最近の梅雨は今までのしとしとピッチャンというのではなく、ドンヨリとした蒸し暑い天気から、いきなり数時間で100ミリ近い雨がさながらタライをひっくり返したように降るという感じになっています。甘く考えていると、増水や鉄砲水で命を落とすこともあるので通注意が必要です。
今のこの季節、京都では蛍を疎水や鴨川などの川沿いで見ることが出来ます。ただし、知人の話によると、京都府立大学の施設で養殖(?)された蛍で放す場所も決まっているので、鑑賞ポイントでないと、数十メートル離れただけで全く蛍がいない場所もあるそうです。もし行かれるのでしたら、地元の方に尋ねるのが無難だと思います。
皆様お元気でお過ごしでしょうか?
それにしても郵政問題、私が思うに、麻生さんはなぜああもビビッているのでしょう?今さら小泉さんを始めとする郵政民営化の方々が造反しようとも、今の自民党がジリ貧状態なのは変わらないと思うのですが。もしかすると麻生さんは、とんでもないスキャンダルを握られてるの?と、逆に変に考えてしまうのです。
叩けばものすごい埃が出る柏崎でございます。(冗談です)まあ鳩山(弟)さんは、この一件で間違いなく男を上げました。
私の家の庭には梅の木があるのですが、今年は枝にびっしりキャビアのような黒い物体がついて、葉の一部にもびっしりアブラムシが蠢いているのです。知り合いの庭師に相談すると、木を見るなりキャビアのような黒い物体はアブラムシの卵ということで、放っておいたら木全体がアブラムシで一杯になるというのです。
庭師は梅の木の根元に、注入式の薬を何本か打ち込んで「これで大丈夫」と帰って行きました。何日かすると、木一杯についてい黒い卵とアブラムシは、乾燥して小さいシャベルでこそげるとペラペラ落ちてしまいました。
何でも根っこから薬が吸い上げられて樹液に入り、それを栄養分にしている虫とか卵は、その薬によって干上がってしまうそうです。この薬を使わなかったら、家の梅の木が今頃どうなっていたのか、考えるだけでもゾッとしてしまいます。
でもここでハタと考えたのです。今年の梅の実は、果たして食べても大丈夫だろうかということです。
虫や卵を駆除した薬は、樹液の中に多分大量に混入しているはずで、その樹液によって実った梅の実は、農薬にまみれていないはずがないのです。知り合いの庭師に尋ねると、こういった農薬は梅だけではなく、柿や桃にも使っているそうで、多くの生産者が多分使っているから大丈夫じゃないかとのことでした。私は今年は梅酒は漬けませんでした。
前にも書きましたが、私は家で家庭菜園をしています。猫の額のような狭さなのですが、それでもネギとかキュウリ、キャベツやトマトなどを作っています。当然無農薬なのですが、本当に手入れが大変なのです。不恰好なキュウリがポツポツ生りますが、キュウリの葉はウドンコ病になってしまいましたし、キャベツやトマトには虫がついて取るのが嫌になる位です。
また畑の中はこまめに手入れしないとすぐ雑草だらけになってしまいます。
何が言いたいかというと、皆さん消費者は無農薬とか有機の果物がいいと言いますが、家のような2坪もない畑や1本しかない梅の木でさえ、害虫や病気や雑草でどうしようもなくなってしまうのです。多分、無農薬なんていったら、毎日大人数で1本1本手入れしなくてはならないし、それが出来ないんだったら、それこそ虫が絶対入ってこないような室内で作物を作るしか手がないんじゃないかと思います。
いつもお世話になっている千代の一番の西田社長は多忙な仕事の傍ら、ライフワークとして茨城の田舎の約1500坪の畑で野菜を作っています。それもあのこだわりの西田社長ですから、当然無農薬です。農薬なしですと、どうしても根菜が主体になってしまうようですが、やはり虫と雑草には悩まされていると言っていました。
無農薬と言うのは簡単ですが、実際に作ってみると大変なことなんです。ですから、虫が寄ってこないとか病気にならない、遺伝子組み換えの作物などというのが開発されるのです。
しかし、私達も含めて消費者はちょっと過敏になってると思うんです。
今述べたように、農薬は生産者にとっては多分なくてはならない物なんです。だから2005年にポジティブリストを制定して、農薬が含まれていても、許容範囲なら安全という目安を作ったはずなんです。しかしながら、農薬は0.0001ピコグラムでも「イヤ」という消費者の考えが、農薬を使っていても一切明らかにしないという今の状態を作り、少し前の、絶対に危ない汚染米のような危険な物でも流通させてしまう状態をまき起こしたのです。
家の梅だって、ちゃんと調べて農薬が出ても、基準値以下だったら、私も梅酒や梅干を作って、食べてみようかなと思ってます。
June 12 第295回 私の仕事歴 その4どうやら私の住む関西地区も梅雨に入った模様で、はっきりしない日が続いています。
我が家の犬は大の水嫌いで、雨が降っていると全く外に出たがらないのです。実はこのところ、運動不足解消の為、毎朝家のそばにある宝ヶ池公園を2kmほど犬と散歩しているのですが、雨が少し降っているだけでパートナーが外に出ないのでは、せっかく始めた運動も3日坊主で終わりそうな感じです。
今週自民党のタイゾー議員が、希望していた北海道1区での自民党公認を受けられないことから、総選挙の出馬を断念しました。小泉郵政民営化選挙で本人もビックリの国会議員になった当時の「早く料亭に行きたい」とか「BMWが欲しい」などと、トンチンカンのことを叫んではしゃいでいたことがウソのようです。
国会議員一人当たり年間約1億円かかるといいますから、あれから4年で4億円、それもタイゾー議員だけでなく、タナボタで当選した方々全てに払った訳ですから、私達納税者はたまったものではありません。気がついたら議員バッチをつけていた・・・なんていう方もいたくらいですから、考えてみれば、それだけ先の選挙は異常な選挙だったのです。
皆様お変わりございませんか?
それにしても、あの全盲のピアニスト辻井伸之さんが、バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したのは、久しぶりに何だか心から「よかった、よかった」と思える出来事でした。目が不自由なピアノ奏者といわれると、レイ・チャールズとかスティービー・ワンダーを思い起こしてしまうのですが、それは割りとアドリブとかが効く自由な演奏であって、正確に楽譜通り弾かなくてはならないクラシックは、その曲の長さを考えると、まさに血のにじみ出るような努力があったと思います。
そして、その演奏から伝わる表現とか感情は、彼の両親からの愛情を物語るものでありました。
彼が受賞のとき、バン・クライバーン氏に抱きしめられた映像をみたとき、思わずホロリとしてしまいました。本当におめでとうございました。それにしても辻井君といい、石川遼君といい、ボケーとしている我が息子を見ると、「勉強しないんだったらバットぐらい振れよ」と、つい小言を言ってしまう柏崎でございます。やはりトンビの子はトンビであるのが、通常であることを痛感しています。
さて先週の続きです。
本当にしんどい時にはしんどい事が重なるものです。今の世界同時不況時に、新型インフルエンザ問題が重なるようなもので、多分こういうことは今後も繰り返していくのは間違いないと思います。
当時、クウェートを攻撃するなんてことは、私達にとっては寝耳に水だったのです。こういった予想外の出来事に対して株式市場は、過剰な反応を示しました。なにせ中東の戦争は、石油が入ってこなくなるというリスクがあるからです。先週も書きましたが、投機的なポジションをとっていた私のポートフォリオは、壊滅的な打撃を受けたのです。なんせ何億円も買っていたワラント債なんて、数日でタダ同然ですよ。それからの私の仕事は、投資家に対しての説明という地獄のような毎日となりました。投資家と言っても台湾の個人事業主が主な顧客であり、その資金の大半が損失してしまったのですから。
少し前にイラクを訪れたブッシュ前大統領に靴を投げて抗議したイラク人新聞記者がいましたが、中国圏では卵を投げます。当然私はその標的になったわけで、この時ばかりは政治家の方と同じ様に病院に逃げ込み、入院したこともあります。まあ極端な話、命すら狙われたこともあるのです。
この時ばかりは身も心もボロボロの状態であり、本当に辛い時期でありました。
「山高ければ、谷深し。」株式の世界の格言は、本当に今思ってみると、深い意味を持っているのです。
その後、香港でいくらあがこうとも私が株屋の世界で浮上することはありませんでした。
そして私は逃げるように日本に帰国し、同期でトップで大店の副支店長に就任し、形の上では順調な生活を送っていたのです。しかし心の中ではポッカリ空いてしまった虚脱感はいかんともしようがなく、また毎日下がっていく相場に対して、亀のように首をすくめて生きていくことに耐えられなくなっていったのです。
私の大学の先輩の役員や、会社のオーナー会長も会社を去り、銀行に支配されたその会社では社長になることは不可能になったことで、私は退職を決意したのです。
その後再び香港に渡り、さまざまな仕事を手がけ、本当に筆舌に出来ない苦労をして今に至っております。その話はまた折を見て書きたいと思います。
最後に株屋の格言で、私が心掛けている(心掛けたい)ことばを。
「人の行く 裏に道有り 花の山」
ご精読ありがとうございました。
June 05 第294回 私の仕事歴 その3急激に気温が上がってきています。梅雨入り前というのに、連日のように夏日が続いています。ただし、早朝に犬の散歩に出ると、肌寒く感じることが多いので、体調管理は難しいと思います。
「新型インフルエンザって何だっけ?」という位、先日までの騒動が嘘のように静まってしまいましたが、観光に依存している京都では中々元通りというようにはなっていない様です。皆様、お元気にお過ごしでしょうか? 今週初めに、とうとうと言うかやっぱりと言うか、あのGM(ゼネラル・モーターズ)が破綻しました。 負債総額が、なんと約16兆円。国が一つ吹っ飛んだようなものです。こうなってみると、日本のトヨタが今期見通しを、8,500億円という大幅赤字としたのは、アメリカに対して「GMなんて、とてもじゃないが今のトヨタでは助けられませんよ~」という言い訳の為の三味線だったのではないかと感じます。でっかいところは大変だな、と全くもって人ごとの小規模企業経営者の柏崎でございます。 先日、国会で自民党・麻生氏と、民主党・鳩山氏の党首討論が行われました。その場で麻生さんは、「今、国民の一番の関心事は、小沢さんの西松問題です」との発言がありました。まあ麻生さんは、西松建設の献金問題の説明責任のことを蒸し返したかったと思いますが、私が感じたのは、検察がなぜ小沢さんを摘発して、自民党の二階さんや他の議員を全く問題にしなかったのか?その真相をはっきりさせて欲しいということです。 私のようなノンポリの人間でも、この公平を欠いた行動に対する、説明責任が検察にはあると思います。それでなくとも、副官房長官の「献金問題の捜査は自民には及ばない」と言う発言であるとか、巷の国策調査などと言う話がある以上、その疑惑に対して、平等な法の番人である検察は、私達が納得できる理由を知らせる義務があると思います。 さて、先週の続きです。当時の私は今思ってみても、明らかに調子に乗っていたのです。 例えば、香港から台湾に出張する時の飛行機では、当然のようにビジネスクラス・ファーストクラスを使い、空港に着けばベンツSクラスのハイヤーが迎えに来ていて、高級ホテルのセミスウィートに泊る。それを、30代前半の若僧が当たり前のようにしていた訳です。(どう考えても異常でしょう)収入面でも、他業種に行った大学の同窓生達の何倍もの給与をもらっていました。 当時の仕事と言えば、台湾のお金持ちから集めたお金の運用で、今で言うディーリングをしていました。投資対象は、株式・ワラント・先物・オプションと何でもありで、バブルのおかげでパフォーマンス(運用成績)も上々でした。 はっきり言って「何か変だな」と気づいたのです。1989年の夏から秋のことです。日経ダウは毎日最高値を更新し、私の成績も絶好調でありました。 でも、何か違うのです。日経ダウは上がっているのに、よく個別の株式の価格を見てみると、ほとんどの株は上がっていない。それどころか、下降しているのです。そんなことがあるはずがないと、普通の人は思うでしょう。 しかし、これが出来るのです。でも、何の為に?今思ってみると、分かります。 実はその数年前に、日本で日経ダウの先物取引が開始されました。日本人投資家は、プロでもこの先物取引に関しては全くの素人です。しかし外国人投資家は、既に先物には何十年もの歴史があり、高等数学やFコンピューターを駆使して、論理的に投資してきます。私達の様な日本人投資家は、機関投資家であろうと彼らにとって「赤子の手をひねるよう」であったと思います。そうです。1989年の年末につける日経ダウ最高値、38,957円は、彼らがカラ売りをして儲ける為に人工的に造りあげた、張りぼての数字だったのです。後になって冷静に判断すればそうわかるのですが、熱狂の中に身を投じていた私は、少しの異変を感じていたものの、その中に身を委ねていた訳です。 1990年に入り、株式が余り上がらなくなっていたことから、私はディーリングのポジションを、より投機的であるワラントや先物にシフトしたのです。私を含めた無知な投資家は、日経ダウは4万円どころか、もしかしたら10万円などという夢を見ていたのです。それが空前の出来事によって、崩れ始めます。 暑い日だったと思います。8月、イラクがクウェートに侵攻したのです。世に言う湾岸戦争です。1990年に入り、少しずつ下降気味だった相場は、一気に大暴落します。それと同時に、私の生活も一変するのです。 次号に続く May 29 第293回 私の仕事歴 その2来週はもう6月です。今年も早6ヶ月・・・半分が過ぎようとしています。過ごしやすい陽気なのですが、週初めには関東地方で暴雨があったようです。去年も書いた覚えがあるのですが、日本は確実に熱帯雨林状態に向かっていると思います。
この頃、平時と非常時という言葉を耳にする機会が多くなってきました。 今の状態はどっち?と聞かれれば、それは、非常時であるのではないでしょうか。しかしながら、頭では「ヤバい」と思っているのですが、私を含め、ほとんどの人は平時状態であるのです。 私の周りでも「ボーナスが半分になった」とか「仕事が全然無くなって大変」という話が終始聞こえてきますが、別に生活が変化したり、慌てたりしている様には見えないのです。 と言っても、新型インフルエンザに大騒ぎし、マスクを買いに殺到することが不安のシグナルなのかも知れません。そうであるならば、経済状態や将来に対する不安で、国民のほとんどが心にマスクをしているのではないでしょうか? そう考えると、政府の出した緊急経済対策というお金の使い方には、非常時とういう大変さが全く見えないのです。要するに、危機克服のために思い切った政策を、とういより何でもありのバラマキという感が付きまとうのです。総額約15兆円のうち、約3分の1近くが官僚や公務員に流れ込むこと自体が、私には理解できません。 私が住む京都では、皆様もご存じのとおり、漢字検定協会の理事長親子が使い込み(背任)で摘発されました。協会としての経理面はハチャメチャだったものの、営業面では大したものだ、と言う他ありません。 しかしながら、私は、毎年多額の税金を使いまくり、しかも、大赤字をたれ流す天下り団体とか公共団体より、ずっとマシであると思います。 漢検も、これだけ努力して優良協会になったのですから、京都の雇用促進などにお金を使ってほしいと思います。 皆様、お元気でお過ごしでしょうか?財団法人だろうが宗教法人だろうが、儲けているなら税金は払うべきだと強く思っております、優良納税者・柏崎でございます。 さて、先週の続きですが、1985年のプラザ合意(ニューヨークのプラザホテルで開催された、当時のG5です)で話し合われた、為替レートに対する覚書による超円高誘導によって、日本は超低金利時代に突入していきます。その結果、円に投資しようとする外国人と低金利によって行き場を失った日本のお金は、不動産と株式に投入され、今でいうバブル時代を迎えます。とにかく、不動産も株も買えば上がるという感じでした。 その中で、あのNTTが民営化大企業の第1号として株式市場に上場(第1回目の売り出し分)したのです。1株約89万円で売り出されたNTT株は、あっという間に1株300万を超え、その結果、麻生首相が口を滑らせた「いかがわしいマーケット」に個人株主が津波のように押し寄せてきたのです。 私は、それまでの借金をあっという間に返済し、株式を売り買いした利益をポケットに詰め込み、毎日身の程知らずの遊びに繰り出していました。まるで、競馬場に行くように感じていて、アフター5の遊びも含めて、会社に行くのが楽しみだったなんて、多分あの頃だけだったと思います。好きこそものの上手なれ。私の営業成績は全店で1番となることもあり、本店でもちょっとした有名人になっていったわけです。 その後、アメリカのペンシルバニア大学の大学院に会社から派遣され、私の鼻は、ピノキオのようにどんどん高くなりました。アメリカから帰国後は香港現地法人に台湾の責任者として赴任した時には、私は多分本当にイヤな奴だったんだろうと思います。私はこの台湾でも、優秀社員賞を獲り、本当に順風満帆な生活を送っていたのです。 会社のオーナー会長や大蔵省出身の社長をアテンドする機会があり、そこでこの二人の2大首脳にえらく気に入られました。歯車が上手く廻っているときは、そういうものかも知れませんが、当時30代前半だった私は、40代前半で役員に就くのが現実に考えられるようになってきたのです。 「驕れるものは久しからず」。人生というのは本当に上手くできています。私達のハシャギ声を神様が、鬱陶しく感じたのでしょう。 私はあっと言う間に、奈落の底に突き落とされるのです・・・。 以下次号に続く・・・ May 21 第292回 私の仕事歴暑いんだか寒いんだか良く分らない陽気です。日に日に木々の緑の色が濃くなっていて、なんとなく爽快なのですが、今の日本を取り巻く環境は必ずしもそうとは言えないようです。
皆様お元気でお過ごしでしょうか? 先週末に、民主党の代表選があり、小沢氏に代わって鳩山由紀夫氏が新代表に選出されました。鳩山氏が政策にあげた「友愛」ということには「何のこっちゃ」という気がしましたが、何年か後に行われるであろう消費税の増税について「最後の一滴まで財政の無駄を排除し終えるまでは、増税を決して認めない」という姿勢はまさに私達の感覚であって、私は評価したいと思います。
今の与党が「天下りや、役人や政治家の無駄遣いなどの巨大利権を温存したままの、国民に対する増税の強要」を姿勢とするなら、それは決して認められるものではありません。鳩山氏には、口先だけでなく、絶対に約束を守って欲しいと思います。 さて先日、来年の就職活動をしている学生さんと話す機会があったのですが、今の厳しい雇用状況を反映してなのか、彼らの考えが恐ろしく安定志向というか、保守的になっているのです。要するに「定年まで安定していて収入は高いに越したことはないがほどほどで面白い仕事がしたい」という希望であります。2000年位のITバブルの時の就職は、起業や外資系転職の為のステップという一攫千金タイプが多かったのですが、起業家志望者には、ホリエモンや村上ファンドの凋落、外資系希望者にはリーマンショックやシティやAIGの国有化状態によって、すっかりなりを潜めてしまったようです。
実は、私はバリバリの一鶴一金タイプで、大学を卒業して証券会社に勤めた動機は、10年で1億円を貯めるのは、この業界しかないと考えたからです。今思い起こせば、本当にアホだった訳ですが、出来ると信じきっていたのです。私の入社当時、国債の利率が8.0%もあったし、定期でも5~6%あったので、1億預ければ800万円位になると、それも未来永劫続くものと信じていたのです。(証券会社が金融会社ということも知らなかったです)それが、こりゃ話が違うと感づいたのが、半年ぐらい経ってからで、なにせ、上司が薦める銘柄が本当に当たらないのです。
しかしながら、毎日相場を見ていると、確実に短期間で何倍にも値上がりする銘柄もある訳で、まだまだ希望は捨てなかったのですが、1年位して、それも難しいことが分ります。それは、毎日毎日、株価ばっかりを見ているということです。元々チキンハートの私は、虎の子で買った株が少しでも上がると売ってしまうし、下がると売ってしまう。要するに大きく儲けるには、証券会社のカウンター内に居る間は、多分無理なのです。これに気付いたのが5~6年経ってからです。この頃から、少しづつ私の考え方が変ってきました。ちなみに私の資産状況は1億どころか、マイナスの300万円すなわち5年働いて300万円の借金という悲惨な状態でした。その頃、証券業という仕事に私の性格が合っていたのでしょう、私の営業成績は目を見張るものがありました。その上、私の出身大学の先輩である役員にすごくかわいがってもらって、トントン拍子い出世街道を登り始めたのです。私の進路希望はここで大きく方向転換し、この証券会社で地位も収入も上り詰めよう!即ち、社長を目指そうという、またまたとんでもない目標を持つようになっていったのです。 その頃から日本はまさに、バブル期に突入しようとしていました。私は本社の第一営業部に所属し「私達の為に世界はあるの」という時代が創ったひとときの夢を見ようとしていました。 長くなりそうなので、次号に続きます。 |
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